人間関係のイザコザは、どこにいても何をしていてもつきまとうもの・・・なのか!?
ゲストハウスを始めていろんなお客さんに出会ってきた。
その人の生き方に刺激をもらったり、心温まるお声掛けをもらったり。
はたまたルールを守ってくれない人に、その場限りの怒りを感じたり。
人と付き合う中でいろんな感情が湧いてくる。
私の堪忍袋はでかい方だと思っている。
めったなことでは感情的になったりしない。
ただ、堪忍袋がでかいだけに、緒が切れてしまったらコントロール不能になる。
2.3年に一度のペースで、私の堪忍袋の緒が切れそうになるお客さんと出会う。
つい先日、その時がやってきた。
堪忍袋の緒こそ切れなかったが、はらわたが煮えくり返るほどの感情が込み上げてきた。
ブッダの教えに
『怒る人に怒りを返さない人は、勝ちがたい争いに勝つ』
というのがある。
まさに『短気は損気』ということだろう。
ただ、冷静でないときにこの怒りの感情を抑えるのは非常に難しい。
そういう時にいい方法がある。
『相手の頭にチューリップが生えている。チューリップを頭に乗せながらワーワー言っている』
と、想像してみるといいらしい。
上司からガミガミ言われた時も
『上司が頭にチューリップを乗せて何かガミガミ言っている』
夫婦喧嘩の時も
『夫(妻)が頭にチューリップを乗せて何かワーワー言っている』と。
今回の私の場合、チューリップがなかなか出てこなかった。
出てきたとしてもすぐに消えていく。
同じくブッダの教えに
『戦場において百万人に勝つよりも、ただひとつの自己に克つ者こそ、実に最上の勝利者である』
というのがある。
チューリップのコントロールができなかったことで、この教えの難しさを痛感する。
ストレス社会と言われている現代。
多くの人が、多かれ少なかれ『怒り』の感情を表す時があるだろう。
ただ経験上
怒りにまかせて発した言葉は後になってモヤモヤが残る。
言いたいことを言ってスッキリしているはずなのに、なぜか後味が悪いのだ。
『怒る人に怒りを返さない人は、勝ちがたい争いに勝つ』
ということか。
いずれにしても、怒りの感情を最小限に抑えることができれば、それに越したことはない。
『戦場において百万人に勝つよりも、ただひとつの自己に克つ者こそ、実に最上の勝利者である』
敵は相手ではなく自分自身。
だが・・・
あれから1週間ほど経った今も、ちょくちょく思い出しては怒りが込み上げてくる。
夜寝る時に思い出したら最後、思い出し怒りでなかなか寝付けない。
ちなみに、手塚治虫の『ブッダ』は大好きで何回も読んだ。
ブッダのように心穏やかにいられたらと思ってはいるが、現実はそう甘くない。
己に克ちたい。
そしてぐっすり眠りた~い。
コメント