こんにちは。にゃーちゃんです。
51才で夫とともにセミリタイアし、それと同時に卒婚。
現在卒婚&セミリタイア6年目です。
20年来の友達がいる。
近所に住んではいるが、合う頻度は数か月に一度のペース。
用事がないとLINEもしないし、こない。
だが、必要な時に一番頼りたいと思うのが彼女だ。
そして彼女も、私のことをそんな風に思ってくれているのではないかと、勝手に思っている。
先日、久しぶりに彼女からLINEがきた。
子どものことで心配事があるらしい。
お茶に誘った。
私たちシニア世代は、子どもの就職を機に親としての任務から解放されるケースが多いはずだ。
子育てが終了し、学費からも解放される。
『安堵感』
・・・のはずが
ちゃんと仕事はしているのだろうか?
困っていることはないのだろうか?
安堵感の隣にちっちゃく『危惧感』が居座る。
結局子どもがいくつになっても、心配する気持ちは変わらない。
松下幸之助さんの本『親として大切なこと』の中にこんな一説がある。
「ああ、よしよし」より、「できることは自分でしなさい」と教える。 そこから、「自立した心」が育まれてくるのです。
松下幸之助著:親として大切なこと
分かる!言わんとしていることは理解できる。
しかし、見守ることがどれだけ大変なことかも経験上分かる。
子どもが小さかった頃、孫を心配して実家の母から毎日のように電話がかかってきた。
人一倍心配性の母だ。
内容はいつも同じで『変わりない?』
毎日だからそう変わったこともなければ、話す内容もネタ切れだ。
夕食の準備中とかにかかってくると、イラっとしていた。
言葉も乱暴になり、さっさと電話を切ったこともある。
心配されることが鬱陶しかった。
娘が、育児休暇が終わり復職した。忙しい日々がやってきた。
今までは、たまにLINEをしたり、孫とビデオ電話をして楽しんでいたが、今はもうできない。
1週間前に送ったLINEの返事がまだ返ってこないが、きっと忙しいのだろう。
・・と、自分を落ち着かせている。
私のあの思い出のせいで、娘にLINEするのも遠慮してしまう。
今ならあの時の母の気持ちがよくわかる。
優しくしとけばよかったな~と、今は亡き母の電話の声が思い出されて泣けてくる。
結局、私たちシニア世代の親は、独り立ちした子どものことは見守ることしかできない。
『親として大切なこと』の中の一説
「ああしなさい」「こうしてはいけない」としつけること以上に大切なこと、それは、親自身が一つの人生観・社会観をしっかりもつことです。
松下幸之助著:親として大切なこと
どんなにしつけをがんばっても、子どもは親の言うようには育たない。その代わりに、親のするとおりに育つ。
子どもの人生を心配するよりも、親の生き方を見せる方が子どもには影響力がありそうだ。
前述したとおり、私の母は人一倍心配性だった。
あーはなりたくないと常日頃から思っているが、最近息子からよく言われることが『ばあちゃんそっくり!』
私は完全否定しているのだが。
友達とお茶をしながら話した。
私は彼女の話を聞くことしかできない。
ただ話を聞いて・・
しかし、途中からはいつものようにお腹をよじらせながら笑い転げる。
彼女は『またね~』と笑顔で帰って行った。
くどいようだが
私たちシニア世代は、子どもを見守ることしかできない。
必要以上に手をかけ過ぎず、必要以上に心配し過ぎず。
ただ、親の人生観を見せてあげようではないか。
とは言うものの、あの心配性だった母に似てきたことはかなりショックだ。
やはり、親のするとおりに育ってしまったのか⁉
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